仏教と和歌からの学び:音楽についての私の哲学

このページでお話しすることは、学問的な知識や確かな事実に基づいたものではありません。あくまで、私が感じたこと、考えたこと、そしてその中で音楽として成長していく過程をアーティストの視点から記したものです。おそらく記憶違いや誤解もあるかもしれませんが、私の音楽に対する思いとともに、少しでも共感していただければ嬉しく思います。

窓から見える素朴な日本庭園と雪景色 - 和歌の精神と音楽哲学に影響を与えた風景

日本語の特徴と音楽

私はジャズやシャンソンも大好きですが、やはり「メインは日本語で歌いたい!」という強い思いがあります。それは、無意識的に使う言葉で歌いたいからです。寝言で話すような言葉で、私の心から直接発する歌を届けたい。そんな思いが根底にあります。

日本語の特徴を追求している理由は、私の音楽を深めるためです。日本語は、他の言語と比べても非常にユニークな特徴を持っています。たとえば、日本語は1音1節という特性があり、リズムや音の響きがとても大切です。英語のように、言葉でリズムを作るというよりは、音の響きやその流れが、言葉に込められた意味を深める力を持っています。

その特徴が、私が音楽を作るうえでどれほど大切であるかを、日々実感しています。


仏教との出会いと声の瞑想

私が仏教と出会ったのは14、5年前のことです(特定の宗教に属しておりませんが、仏教をはじめ、いのちや生きることについての様々な宗教の思想や教えに深い関心を持ち、学んでいます)。

「息」と「言葉」に深い関心を持ち、声の瞑想を学び始めました。
この瞑想では、息と声を意識的に使い、身体全体にその響きを感じることを目指しています。息を深く吸い込み、吐き出すことで、声と身体がひとつになる感覚が得られます。その体験を通じて、歌うことが単なる技術や表現ではなく、心身の一体化であり、魂から発せられる力強いエネルギーのようなものだと感じるようになりました。

私の歌は、仏教の教えから得た「声の力」と深く関わっています。声を使うことで、自己と向き合い、心を整える。音楽を通じて、外の世界とも優しく繋がっていける感覚。それは、仏教における「空」の思想とも共鳴しています。

私が学んだ『声の瞑想』は、歌うだけでなく、心と身体を整える力を持っています。もし、私の声でそのような体験をしてみたいと思われたなら、ワークショップやコンサートの詳細はこちらでご確認ください。

和歌と披講:日本語の美しさ

和歌との出会いも、私の音楽に大きな影響を与えました。

特に、「披講(ひこう)」という、和歌を声に出して読み上げることに深く惹かれました。披講とは、宮中の歌会始などで行われるように、一定の型に従い、和歌を声に出して披露する行為です。音の響きやリズム、言葉の一つひとつに込められた深い意味が、私の音楽に新たな視点を与えてくれました。

披講を通じて、私は日本語の母音が持つ力を直に感じました。日本語の美しさ、響きが身体の中で広がる感覚は、音楽にとって欠かせない要素です。和歌の一言一言が、どれほど深く心に響くのか、その感覚が私の歌声に反映されています。

披講を学んだおかげで、私は「言葉が響くこと」の本当の意味を実感しました。それは単なる音の重なりではなく、心を込めた声の力が、聴く人に何かを届ける瞬間だと感じています。


結びに

仏教や和歌を通して学んだことは、私の音楽だけでなく、私自身の成長にも大きな影響を与えました。音楽は、言葉や声だけでなく、心と体が一体となって生まれるものだと感じています。これからも、私の音楽を通じて、言葉や声が持つ力を伝えていけたらと考えています。

私の音楽の成長は、常に学び続ける過程です。仏教の教えや和歌、そして日本語の響きに触れながら、さらに深い音楽の世界を追求していきます。